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今回、「ほんまもん」の「琵琶」の何たるかを教えてくださったのは、筑前琵琶の大師範 竹本旭将先生です。竹本先生は、17歳の時に、師匠にその天賦の才を認められ、修行に励まれました。それから、約40年、琵琶の道を極められたという素晴らしい先生です。
先生に、インタビューをさせていただきながら、試演もしていただきました。学生時代、伝統芸能研究会に所属していたこともあり、能や狂言、浄瑠璃などは、ライブで何度も見てきました。しかし、生の「琵琶」による語りは初めてです。『平家物語』の語りを、テープなどでは聞いたことはありますが、それをもはるかに超えるほど、素晴らしいものでした。
『平家物語』中の「那須与一 巻」を拝見させていただいたのですが、セリフとその情景、そして、登場人物の動きや、場の雰囲気などが、手にとるように伝わってくるのです。正に「解る!!」という感じです。例えば、那須与一が弓矢を射る場面で、「ひょうふつ」という擬音語が出てくるのです。本文解釈中でも、非常に難しいところで、その場の緊迫感などを理解することが、本を読むだけではなかなか難しいところです。この場面も、琵琶の音と先生のかもしだす何とも表現しがたい雰囲気をもちながら行なわれる「語り」にかかれば、「なるほど!」とわかってしまうのです。
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琵琶の歴史は古く、百科事典をひもといてみると、琵琶はもともと、奈良朝の頃、シルクロードを通って中国から楽器そのものは伝わってきました。このときの琵琶は正倉院に宝物として残っているとの事です。
琵琶の種類は、雅楽に用いる楽琵琶と『平家物語』を語る平家琵琶、鹿児島で武士のたしなみとして流行した薩摩琵琶、そして、明治20年代に新たに北九州に《筑前琵琶》が起こったのです。
筑前琵琶については、形は小さく、弦は四本と五本の二種があり、音程を変化させる柱は五つあります。ただし、音程については、柱と柱の間を指で押さえることにより変化させます。その結果、微妙に音程が変化していき、音の「ゆらぎ」が、聞いているものの心地よさを倍増させるのです。
ファジーという言葉がありますが、まさに、微妙な「ゆらぎ」「あいまいさ」が、日本人の心をゆさぶるのです。
実際に、貴重な筑前琵琶を手にとらせていただきました。そのずっしりとした重量感にも感動しました。この重量感があるからこその音色なのかと、一人感じいってしまいました。また、そのお値段も聞いてびっくり、下世話な話で申し訳ないですが、それだけしてもあまりある価値があると思わずにはいられませんでした。
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筑前琵琶は、大正から昭和の始めにかけて大流行をしました。昭和五年のNHKの国民嗜好の調査では堂々の一位となっています。 戦記ものの「語り」を筑前琵琶を用いて行なうなど大きなブームとなったのです。もちろん、当時の国民がその題材について知識があったことが大きな要因となり、聴衆が「知っている」語りを行なっていくことでどんどんと人気がたかまっていったのです。 当時の題材では、日露戦争をテーマにした「二百三高地」といったものもあり、その精神性と思想性について、GHQが認めない姿勢を打ち出し、その大流行も終わりをつげたのです。 戦後GHQによる占領政策も終わり、新たな時代に入ってくるにつれて、徐々にその人気も回復してきましたが、一世を風靡したときの勢いには戻らず、現在にいたっています。 |
日本の伝統芸能のあらゆる分野で、「後継者の育成」という大きな問題に直面していますが、筑前琵琶についても例にもれず、大きな問題となっているのです。竹本旭将先生は、「現在の若者は、耳がいいから、筑前琵琶の「音」もしっかり耳でとることができるはず」と語られています。琵琶の稽古も基本的には師匠とのマンツーマンです。そのため「音に敏感」であるということが大きな下地となるのです。現在の若い人たちは、色んな音楽をシャワーのようにあびていることもあり、下地としては十分あるとのことです。
一人でも多くの若者たちに伝えていきたいという竹本旭将先生の熱い思いがひしひしと伝わってきました。 |
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